忘却オルゴール
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ドーナツ
昼休みに後ろから肩をちょんちょん叩かれて振り向いた。同じクラスのナナミがにやにやしながら立っていた。
「何?」
「アシタカ、おやつ食べない?」
そう言って黄色い袋を目の前に持ってきてぶらぶらさせる。
「あ」
「えへへ」
「ニコルだ」
その袋は女性に大人気の洋菓子屋さん、駅前にあるニコルという店のものだった。人気というだけあって、どのデザートも溜息が出るほど甘くておいしい。
「食べる?」
「食べる」
「じゃ屋上行こ」
「屋上?」
「ドーナツだから」
「なるほど」
ニコルのドーナツは格別おいしくて、しかも同じ味が無い。今日はどんな味がするんだろうとわくわくしてきて、飛び跳ねたくなる気持ちをなんとか抑えて屋上へ続く階段を登った。
がらんとした屋上に出て校庭に面した柵の手前までナナミについて歩いた。サッカーボールと一緒に走り回る男子達の声が風に乗って届いてくる。ナナミは柵にもたれて袋を開けると、中に入っていた小さな箱をぱかっと開けて1つ輪っかを取り出した。
「はい」
「ありがと」
シンプルなドーナツの小さな化粧っ気の無い日焼けしたお肌はまるでベトナムの子供みたいに見えて、ちょっと笑ってしまった。ナナミはそれには気付かなかったらしく、自分の分を取り出して用の無くなった箱をまた袋の中に押し込めているところだった。
「ねぇ、アシタカはどこにする?」
袋を手首にかけてナナミが顔を上げた。
「んーやっぱ空かな。今日晴れてるし」
「冒険しないなー」
「そう言うナナミはどこにするの?」
「フジサワ君」
「げ」
フジサワ君は同じ学年のスポーツ少年で、今校庭でサッカーやってる男子の一人。ナナミは同じクラスだった去年からお気に入りだった。でも告白する勇気は無いらしく、なんの進展も無いままずるずる。
「何よ」
「汗臭いかもよ?」
「多分爽やかな汗よ」
「プ」
「笑うな」

それから二人ドーナツを目にぴったりくっつけて、私は柵を背にして空を見上げ、ナナミは柵から体を乗り出してじっと校庭を見据えて目標を定める。それはすごく簡単な作業で、雲の無い青空の部分を探して、ここだと思ったらドアノブを回すようにくるりとドーナツを一回転。それで終わり。ぷるんと綺麗な水色が穴の部分に残ってゆらゆら揺れた。
「取れた」
そう言って振り向くとナナミはまだフジサワ君を狙って校庭を睨んでいた。私はドーナツの穴にいっぱい溜まった空をぷるぷるさせながらナナミの顔に近づけて「ほらほら」とからかう。ナナミはしばらく、まるでスナイパーみたいに校庭を狙っていたけれど、やがて諦めたように息をゆっくり吐き出してこっちに向き直った。
「やっぱ難しい」
「だろうね」
「ゴミ多いんだもん」
「…」
「無難に空にしよ」
ナナミは少し残念そうに力の抜けた声で言うと空を見上げてくるりとドーナツを回した。私のとは少し違う水色がナナミのドーナツの穴いっぱいに溜まった。
「食べよ」
「うん」

二人とも大きく口を開けて、一口で半分頬張る。甘いドーナツと爽やかな空が口の中に広がって、空の上で雲の布団にくるまって「あと5分寝かせて」みたいな、何とも言えない幸せな気分になると、自然にピンク色の幸せな溜め息がほっこり外に出てくる。ナナミもぽへっと溜め息出して「うまーい」ととろけた声を上げた。
「うまいねー」
「いや、フジサワ君」
「え」
「今ゴール決めた」
「あ、そ」

「今度は絶対フジサワ君にしよ」とピンクの溜め息を吐きながらナナミが呟く。その向こうで時計の針がかちりと動き、昼休み終了のチャイムが鳴る。
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by asi384 | 2005-01-20 17:17
放漫と無知
マンションの通路を、赤いランドセルを背負った見覚えのない少女がスカートの裾を翻して走っていった。

鍵を開けて暗がりの中へ逃げ込むように中に入ると台所から煮付けのこってりとした香りが出迎えてくれるのだが、そこに女の姿は無い。確か去年のクリスマスの一週間前か二週間前に此処を、と考えて、それからリビングの電気のスイッチをぱちりと入れて、はたと立ち止まり、果たして出て行ったのは本当に去年だったろうかと問い掛けるも、女の顔はとうの昔に薄れきってしまっていて答えを引き出すには足りない。足りないのだが、「男って弱いのね」と、確か呆れ顔で呟いた女の台詞と、それが出て行く前に作り置いていた良い具合に味醂の効いた金目鯛の煮付けを一人箸で突いてしみじみ「惜しかったなあ」とぼやいた時の、あの金目鯛の抉られた眼だけが辛うじて耳の後ろ辺りにまだ零れ落ちぬまま残っていて、それでも矢張り充分とはいえないのだが、あれは冬だったのだと確信を得て、それで満足することにした。
鍋の蓋を上げてみると、立ち昇る湯気の陰からもう大分量の減った煮汁の上に紅い金目鯛が二匹、腹を突き合わせてことこと揺れているのが現れ、いや上等の素材を上等に捌くとこういった上等な姿になるものかと半ば関心するほどの出来映えであるのだが、さてどこで取り出せばよいのか、そのタイミングが分からず、米もまだ米のままで洗ってもいない具合であったので、仕方なく火を止めて買い出しに出掛けることにした。ドアを開けると一月の風が私という存在をまるで無視するかのように脇を抜け家の中へとするり滑り込んできて、その瞬間、ごく自然に煮付けの香りの消えてしまうのを恐れ、またドアを閉めてしまった。後に残された室内の沈黙に、あのことこととささやかな金目鯛の煮える音はもう聞こえない。
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by asi384 | 2005-01-12 23:29
風に乗って
本屋で文庫本見てたら出口の近くで何だかバタバタと騒がしい音がした。
行ってみるともう音は収まっていて、レジの前のベストセラー本を積んでる所に店員さんが何か書いた紙を置いているところだった。
何が書いてるんだろうと思って覗いてみた。

 『飛び立つ絵本は飛び立ちました』

店の外を見てみたけど、もう絵本の姿はどこにも見えなかった。
自動ドアが開きっぱなしになっていて、寒かった。
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by asi384 | 2005-01-10 18:38
空へ
ムロフシさんが「高い高い」とやって最後に放り投げた息子はどんどん高く昇っていき、ぴかりと光るお星様になって、私にはその光が少し眩しすぎるように思われたのですけれど、「可愛いお子さんでした」と言ってはにかんだムロフシさんの笑顔がいつもよりずっと輝いて見えたのは、ああ、あの子のおかげなのだと、そう思ったら何だか気持ちが昂ぶってしまって、軽くなった乳母車を押しながら自然にスキップなんかやってしまって、はっと気付いて慌ててお腹に手をやるのです。来月、二人目が産まれます。
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by asi384 | 2005-01-04 15:14
明けてますか?
初詣からの帰りに半袖姿の早坂君に会った。早坂君はなんだかやけに急いで走ってた。

「早坂君、明けましておめでとう」
「まだ明けてない」
「ぇ」
「まだ俺2004年の9月だから」
「…」
「だからこうやってみんなに追いつくように走ってるの」
「そうなんだ…」
「暑い」
「だろうね」

「多分3月くらいには追いつけると思う」

そう言って早坂君は体から湯気を立てながら走っていった。
早坂君の向こう側に、初日がまぶしく輝いていた。
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by asi384 | 2005-01-01 07:41